大判例

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東京高等裁判所 平成5年(ネ)4949号 判決

主文

一  原判決を取り消す。

二  群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢字南木山大楢二〇三二番六〇三山林一三二二平方メートルの土地と同所二〇三二番六〇四山林六二〇平方メートルの土地との境界は、七条通り一〇丁目角(原判決添付別紙図面のチ点)を基点として、西へ三六・三六メートルの点(同図面のイ点)と、右基点より北へ三五・六五六メートルの点(同図面のト点)から直角に西へ三六・三六メートルの点(同図面のロ点)とを結ぶ直線とする。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

(控訴人)

主文同旨

(被控訴人)

1  本件控訴を棄却する。

2  訴訟費用は控訴人の負担とする。

二  当事者双方の主張

(控訴人らの主張)

1  控訴人らは群馬県吾妻郡長野原町大字北軽井沢字南木山大楢二〇三二番六〇三山林(登記簿上の面積一三二二平方メートル)の土地(以下「A地」という。)を持分各二分の一により共有している。

2  被控訴人は同所二〇三二番六〇四山林(登記簿上の面積六二〇平方メートル)の土地(以下「B地」という。)を所有している。

3  A地東側とB地の西側は地番上隣接しており、その境界は、七条通り一〇丁目角(前記図面のチ点)を基点として、西へ三六・三六メートルの点(同図面のイ点)と、右基点より北へ三五・六五六メートルの点(同図面のト点)から直角に西へ三六・三六メートルの点(同図面のロ点)とを結ぶ直線である。

4  A、B両地を含む一帯の土地は、昭和三年ころから「北軽井沢大学村」との名称で開発された分譲別荘地であり、右分譲地は、当時一辺の長さを四〇間とした正方形の土地を、さらに「田」の字形に区分して一辺の長さを二〇間(三六・三六メートル)とする面積四〇〇坪の正方形の土地とし、これを一区画とするのを基本とした。A、B両地はこのようにして区画され(なお、B地は、当初右同所二〇三二番五三四三山林七〇一平方メートルの土地とあわせて一筆の土地として区画されたものであるが、この分筆前の同所六〇四牧場一三二二平方メートルの土地(以下「分筆前の六〇四の土地」という。)が、昭和六〇年一〇月八日、被控訴人によって右両地に分筆されたものである。)たもので、面積はA地及び分筆前の六〇四の土地ともに登記簿記載のとおり、それぞれ一三二二平方メートル(四〇〇坪)であって、前記イとロ点を結ぶ直線を境界として隣接するものである。現在存在するコンクリート製境界石は、分譲当初から境界標柱として埋設されていた栗材が腐朽したため、昭和四〇年代中期に至ってコンクリート製境界石に取り替えた際、誤って前記図面のヌ点及び後述のハ点、ニ点の各位置に埋設されたものと考えられる。控訴人らも従来ハ点とニ点を結ぶ直線が境界と思っていたが、これは現地を見分する機会も少ないため、境界杭の位置について正確な認識を欠いていたことによるものである。

(被控訴人の認否及び主張)

1  控訴人らの主張1、2の事実と同3の事実中A、B両地が隣接していること及び同4の事実中、分筆前の六〇四の土地を同所二〇三二番五三四三の土地とB地に分筆したことは認める。

2  A、B両地の境界は、前記チ点を基点として、西へ四四・八七メートルの点(前記図面のニ点)と同図面のト点から直角に西へ四四・八七メートルの点(同図面のハ点)とを結ぶ直線である。

3  被控訴人は、昭和四六年一〇月四日、前所有者の山本多意吉から分筆前の六〇四の土地を購入した。その際、被控訴人は現地を案内した社団法人「北軽井沢大学村組合」の職員で永年付近の別荘地の分譲管理に携わってきた安東重徳から、西側隣地のA地との境界標柱としてハ点及びニ点に埋設されたコンクリート製境界石を示されてこれを確認し、また同人及び右山本多意吉から、分筆前の六〇四の土地の面積は縄延びのため登記簿上の面積とは異なって五〇〇坪ある旨の説明を受けた。被控訴人は右土地を購入して以来、ハ点とニ点を結ぶ直線が隣地のA地との境界であるとの認識のもとに、その線より東の土地部分を占有し、その間控訴人らとの間に境界をめぐる争いはなかった。むしろ、被控訴人は、昭和四八年、控訴人らから被控訴人が建築した建物の庇の一部がハ点とニ点を結ぶ直線を越えて、A地に越境している旨の指摘を受けたため、同部分を切断したことがあり、控訴人ら自身もハ点とニ点を結ぶ直線がA、B両地の境界であることを認識していた。

三  証拠関係(省略)

理由

一  当裁判所も、A地とB地の境界は、前記イ点とロ点を結ぶ直線であると判断するものであるが、その理由は、次のとおり加除、訂正を加えるほか、原判決五丁裏四行目から同七丁裏四行目の理由説示と同じであるから、これを引用する。

1  原判決五丁裏四行目の「請求原因」から同行末尾までを次のとおり改める。

「「控訴人らの主張」欄1、2のとおり控訴人らがA地を、被控訴人がB地をそれぞれ所有していること、同3の事実のうち、A、B両地が地番上隣接していること、同4の事実のうち、同項記載のとおり分筆前の六〇四の土地が分筆されてB地と同所二〇三二番五三四三の土地になったこと、これらはいずれも当事者間に争いがない。」

2  同五行目の「検討する」の次に「に、各括弧内掲記の証拠によれば、次の各事実を認めることができる」を加える。

3  同六丁裏一行目末尾の次に、次のとおり加える。

「なお、前記「北軽井沢大学村組合」においても、分筆前の六〇四の土地の面積が四〇〇坪であることを前提とした土地の面積を組合員原簿に登載し、これをもとに組合費の徴収等を行ってきており、同組合としては、A地と分筆前の六〇四の土地はいずれも南北各二〇間、面積四〇〇坪の正方形の土地で、両土地の境界は別紙図面のイ点とロ点を結ぶ直線であるとの理解をしている(原審における証人阿部譲の証言及びこれにより真正に成立したと認められる甲第六号証の一、同第九号証の一、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第二一号証)。」

4  同五行目の「小暮富二」を「木暮富二」と改める。

5  同九行目の「一致する」の次に、次のとおり加える。

「。そして、チ点からA地のさらに西隣の同所二〇三二番六〇二の土地の南西角までの距離を計測したところ、その間の距離は前記の資料による計算値と概ね合致するものの、むしろ不足ぎみであり、その間に縄延びがあるとは見られない。」

6  同一〇行目の次に改行のうえ、次のとおり加える。

「(5) A地及び分筆前の六〇四の土地の登記簿上の面積は、前記のとおり、いずれも一三二二平方メートル(四〇〇坪)であるところ、仮に分筆前の六〇四の土地の西側境界点が同図面のニ点にあるとすれば、同土地の実測面積は一五九六・〇七平方メートル(四八二・八一坪)となり、登記簿上の面積を大幅に上回ることになり、その分A地及びその西隣の同所二〇三二番六〇二の土地の面積が登記簿上の面積を下回ることになる。(原審における被控訴人本人尋問の結果により真正に成立したと認められる乙第二号証)」

7  同七丁表九行目の「昭和四四年頃」を「昭和四〇年代中期」と改める。

8  同裏三行目の「甲第六号証の二)。」の次に、次のとおり加える。

「また、原審における証人阿部譲の証言によれば、前記安東重徳は昭和三六年ころ以降、右「北軽井沢大学村組合」を退職して同組合の業務には携わっていないことが窺われ、したがって、同人が右のようなコンクリート製境界石の埋設経過の詳細を、どの程度正確に把握していたか明確とはいえない。」

二  ところで、境界確定の訴えは土地所有権の範囲の確認を目的とするものではないから、右訴えにおける境界の確定にあたって取得時効の主張の当否は無関係といわなければならず(最判昭和四三年二月二二日、民集二二巻二号二七〇頁参照)、また、隣接する土地の所有者間の境界確定訴訟において、一方の土地のうちの境界に接する部分を他方の土地所有者が時効取得した場合でも、両土地所有者は当事者適格を失うものではない(最判昭和五八年一〇月一八日民集三七巻八号一一二一頁参照)と解するのが相当である。

そうすると、原審がこれと異なり、A地のうち、B地と接する別紙図面のイロハニイの各点で囲まれた本件係争地を時効取得したとする被控訴人の主張を抗弁として取り上げ、被控訴人が右取得時効により本件係争地を取得したとの事実を認定したうえ、結局本件訴訟は被控訴人が所有する土地(本件係争地及びB地)内部の境界の確定を求める訴えに他ならないとして、これを不適法却下したのは、最高裁判所の右各判例に照らして許されないといわなければならない。

三  よって、原判決を取り消さざるを得ないが、本件境界については原審で実質的審理がされていてこれを差し戻さなくても控訴人ら及び被控訴人の審級の利益を失わせることにならないから、当裁判所は、A地とB地の境界を主文のとおり確定することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

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